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05/23/2009    
P名不明「糸 その1」

動画の説明文にはこうある――ここに動画、音声はありません。

――そう、この動画は足りないものだらけだ。音もない、立ち絵もほぼない。


物語は春香とプロデューサーの別れからはじまり、二人の手紙交換を通してつづられる。いわゆる、書簡体小説である。

書簡体小説といえば、やはりゲーテの「若きウェルテルの悩み」、あるいはシェリーの「フランケンシュタイン」あたりが有名どころだろうか。個人的には、太宰の「トカトントン」や、近松秋江の「別れたる妻に送る手紙」が好きだ。


けれども、問題は、ここがニコニコという場であることである。動画というジャンルであることである。

一体、どういう経緯で、ノベマスで書簡体をやろうと思ったのだろうか。あるいは、なぜ、その思いつきを実行してしまうだけの勇気をもてたのだろうか。


私はここに、テキストへの偏愛を感じるのだ。


ペデューサーPは自作の「職業アイドル」についてこう語った――物語を、基本となる骨子(骨)、その基本的な流れに直接関わっていく描写(筋肉)、直接は物語の根幹に関わらない描写(脂肪)の3つに分けるとするならば、本動画には3つ目がほとんど含まれていません。(中略) シリアスなのに脂肪がほとんどないとかかなり致命的な気 もしますが、そこはほら、文章そのものではなく、展開を楽しむ動画ということでどうか一つ。ニコニコ的には向いているやり方な気もしますし。

――「直接は物語の根幹に関わらない」というのが何を意味するのかをひとまずおくとして、もっともな議論である。影に日向に言われている、「ノベマスでは描写を削れ」という考えを裏打ちしている。


だが、と思うのだ。

テキストの意味は、果たして物語の進行のためだけのものであったのか。否。テキストには、そして描写には、それじたいに快楽がある。少なくとも私にとっては、そうだ。

ノベマスというジャンルを動画という視角から追求し、グラフィカルな側面、あるいはサウンドの側面から改良していくのは、もちろん、正しい。けれど、このようなテキストの側面から見直すこともまた、アリなのではないだろうか。そしてまた同時に、そのテキストをどう見せるか、という側面からも。


どのような評価がなされるにしろ、この作品の蛮勇と努力はひとまず買い、だ。

私は、テキストも、ストーリーも、演出も、買う。
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